医薬医療品レギュラトリーサイエンスを考察

レギュラトリーサイエンスという言葉を聞いたことがあるだろうか。

過ちを繰り返さないために

今何をすべきなのか

様々な事態が巻き起こっている中で、今後日本の医薬品・医療機器に関してどのような姿勢が求められるのかが論点となる。レギュラトリーサイエンスという評価科学の下で、発展していくためには乗り越えなくてはならない課題が多すぎる。しかし先に述べた承認審査については短縮化が図られているものの、それも極端に長過ぎるとさすがにどうかと思うがこのままいけばもう少し短縮される見込みは可能性としてあるだろう。短すぎるのも問題が別の意味で浮上し、審査が不十分だったのでは無いかという点も湧き出してきかねないため適切な長さといえる時間を見出してもらいたい。

時間が解消されたとしたとしても、問題は次から次へと出てくる。他にも考慮しなければならないのは医薬品の管理体制や製造、さらに品質といった物をいかに保てるかという点だ。時間の問題が解消されれば開発現場でも様々な特効薬が開発されるようになったとしても、次にそうした医薬品などをきちんと管理できる施設が用意されていなければ意味が無い。また医薬品を製造する上で必要な資源の確保と資源の純度という点でも、島国という特徴が恨めしくなるのも日本ならではの弱点と言える。

こうした尾を引いている問題があらゆる面で出てきてしまっているため、課題をそのままにしっぱなしというのもある。またこうした問題が現場で起きているにも関わらず、指示する側の上の人間が無理難題な要求をするといった、最近良くありがちなブラック的な側面が出てきてしまうということもある。研究とは短時間で成果が上げられるものではない、それをこの日までに解決策を導き出せなどと言われて、出せるものでもない。1つの答えに縛られず、複数の解答を発掘し、そこから見えてくる答えは何かを引っ張りだす事こそ、レギュラトリーサイエンスの目的であり、役割となっている。

このプロセスを蔑ろにしたことによって、日本でも様々な薬害事件が発生するなど社会問題にまで発展した事例もある。

お薬飲んでますか

全く安全ではなかった

薬害事件もそうだが、レギュラトリーサイエンスを利用した技術としてこれまで当然のように使用されていた物がある。それはレギュラトリーサイエンスの原点とも言われ、これがあるからこそ社会は安定しているのだと断言されていたのが『原子力』に関してだ。今まで日常生活において当たり前のように利用していた原子力、これまでは日本の電力として中心的扱いをされてきた。過去に起きたチェルノブイリ事故に教訓として万全な対策が取られている、そう電力会社を始め政府からそのようなお布施が出まわっており、安全神話が築かれていたはずだった。

それも2011年の東日本大震災によって柱から土台まで全てが木っ端微塵に崩れ去り、日本各地で運転されていた原子力発電所を運転するなとする気概が一気に高まった。自然災害とはいえ、事故には変わりなく、また想定されていた以上の被害が起きた場合でも被害は及ぶことはないと言われてきたが、レギュラトリーサイエンスという評価科学が万全には行われていなかったという致命傷が剥き出しになる。

起こるだろうと予測されていたリスクに対しての安全策は取られていた、しかし逆に予想を超えた遥かな未知のリスクに対する対策は怠っており、それが現在の放射能問題へと繋がる。これによってやはり嘘だったのかと糾弾する人もいれば、騙されていたのかと愕然としてしまい、反転して一気に反対勢力へと変質してしまった。

承認審査などというのもザルだった、所詮は利権まみれだったのかと誹謗中傷がこだまする原因にもなりかねないため、時間はむしろ長ければ長い方が良いのかもしれない。

日本の医療

予防策として

こうした例を上げれば分かるように、問題は二度と起こしてはならないと考えるようになるもの。原子力についても半永久的に稼働を止めるべきだと団体と国による徹底した争いへと発展し、今でも論争は勃発し続けている。大事なのは一度起きた問題、それも命に関わるような重篤性の高い病気であればなおのこと、過去の教訓を無駄にはせずに現代へと引き継いで問題解決へと導けるようにするのもレギュラトリーサイエンスとしての本質である。

しかし一個人が問題を起こさないよう取り組んでも、全体で間違いがないような体制を作っていなければなおのこと意味が無い。社会全体として、また所属している医療組織の中で明確なルール付けを行うことで過去に起きた失敗がまた起きないようにと徹底していく。レギュラトリーサイエンスというものがどれだけ大切かつ重要なことなのかを改めて認識しておこう。