医薬医療品レギュラトリーサイエンスを考察

レギュラトリーサイエンスという言葉を聞いたことがあるだろうか。

役割と本質

単純式で求められないからこそ

レギュラトリーサイエンスにおいて研究成果として導き出された一つの結果だけでは最終的な答えは導くことは出来ない、あくまで出てきた結果は一つの例として扱い、その答え以外に別の答えはないかを考えていかなくてならない。こうした問題は社会という中でも例として取り上げることも可能だ。そもそも人間が生きている社会で答えは常に1つではない、生き方にしても価値観してもそう、人種や思想なども個人々々で違っている。だがどうしても人間社会というコミュニティの中では画一化されやすい、そしてそれは基本的に大多数という一個体によって統合と吸収が行われていく。少数であることは異質・異端と言って淘汰し、最終的に征服しながら自分たちのものとする、戦争が発生するシステムにも似ていると感じながら、自分が思ったことを根本から否定された経験がある人ならわかると思う。

理不尽と言われず、自分が一番間違っているなどと言われてしまうと本当にそうなるように仕組まれている。これが一番正しいんだと言われたら納得するしか無いと、いつの間にか常識として組み込まれてしまっている。こうした普遍的ともいう価値観に縛られているからこそ医薬品の副作用問題も解決へと誘うことが出来ないままズルズルと引きずっている感が否めない。

答えは1つではない、あらゆる側面から答えを導くことにより、様々な可能性を知り、複数の問題が発生しても解法を何種類も公式として認識していれば問題解決能力は格段と上がる。これがいわゆる応用力へと繋がるわけだが、レギュラトリーサイエンスにおいてはこういった能力こそが一番の重要な要素であり、科学という学問としての質を人間社会において調和させることを役割としている。

お薬飲んでますか

医薬品の問題に直接関係している

レギュラトリーサイエンスの役割と本質について述べたが、上記の点を踏まえた上でこうした科学は日常の中で最も消費者と近い関係性を持っているものこそ、今回の最大のテーマとなっている『医薬品関連』の議論へと直結している。それ以外のあらゆる面で使用されているが、国民視点で考えれば一番近い関係にあるのは医薬品をおいて他にない。そんな科学をどんな場面で使用されているのか、紹介していこう。

  • 1.医薬品医療機器の承認審査
  • 2.医薬品医療機器の安全対策
  • 3.医薬品の製造管理や品質管理
  • 4.医薬品医療機器の回収判断
  • 5.薬事監視
  • 6.GMP,GLP,GCPなどの査察・内部監査

見たことがあるような内容ばかりとなっているが、先に紹介した日本の医薬品医療機器に関する取り扱いに関して、上記のような研究が行わないとならない。一つ一つ取ってみても分かるように、どれも全て一つの解答だけで導けるようなものではない。安全対策にしてもこれをすれば絶対に大丈夫という保障もないため、必ずサブの安全策を考えなくてはならない。また実際、医薬品に関する事故や不祥事といった社会的観点で由々しき問題に発展するかどうかなど、問題が広がる前に報告されている問題がこのまま拡大することでどのような事態が引き起こされるのか、そういった未来予測といった面まで分析しなければならない。この時も先の出来事として起きることは1つと決まってはいない。

日本の医療

審査は厳格

レギュラトリーサイエンスによるプロセスは1つに縛られない、あらゆる側面から考えられる可能性をいくつも示唆し、出てくる答え全てを考察してどのような事態になるか、その影響力も含めて考えていかなくてはならない。上記で紹介した使用される場面における『承認審査』という点において、薬事に関する審査は厳格に行われなければならない。

ただここでも問題点が湧き上がり、外国で使用されている医薬品は基本的に日本独自の臨床試験をクリアしなければ国内での使用は認められないという決まりになっている。こうした例については移植手術などを参考にするともっと分かりやすいかもしれない、日本で助かる術がないから海外の施術によって生き長らえようとする働きを患者自らが行動を起こさないといけないという問題にも繋がる。

医薬品でも例はある、バイアグラだ。90年代に何かと話題を集めていたが日本に入ってくる前から海外では利用されていた、精力増強剤だ。これも承認審査が通らなかったため日本で使用できなかったが、現在では使用しても命の危険性などの心配がなく、利用しても人体に負荷をもたらすものではないと承認されたからこそようやく日本に入ってきた。

厳重にしている分だけ日本は立派だと評価できる点はあるかもしれないが、産業として見た場合には非常に閉塞しているの言葉に尽きる。江戸時代の封建社会を連想する、日本はそういう意味ではまだまだ閉鎖するという仕組みから脱却できていないのかもしれない。